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| 来年度の授業はどうしよう |
カリキュラムも時間割もそろそろ固まり、シラバスも出した後になってこんなことをいうのは何ですが、さて来年度の授業はどうしようかと改めて迷い中です。
今年度の授業では、やはり学生の巻き込み方が不十分だったと感じています。そこをどうやったら改善できるのか、なるべく学生の参加を促すように、対話式を織りまぜてみたり、プレゼンテーションを使ってみたり、質問や感想を出させたり、色々試して見ましたが、同じことをやっても年度によってノリが違うので、中々これをやればよいという定番が見つかりません。 授業の中身も、一応は伝統的な法学分野ですから、そう大きくは外れられないし、興味関心に従った内容に偏ってもよいという時代では段々なくなります。
折角の日曜日ですが、最近は雪がふるほど寒いので、研究室で一日を過ごすことになりそうです。
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| お役所の会議 |
昨日も、一昨日も、お役所の会議に出席しました。
中央省庁では審議会とか研究会とか委員会とか、様々な名称で民間の関係者を含めた会議を開いています。政策決定に、民間の知識経験を入れることが不可欠だからです。 その中でも、審議会というのは最もエラく、規模も大きく、審議会の下に部会や専門調査会など幾層もの下部会議体があります。
法律を作る場合、まず研究会を組織し(これは入札により主宰するシンクタンクなどに委託しますが、実際はお役所が完全主導する場合が多いです)、そこで下準備的な検討をした上で、審議会で議題をたてて(大臣からの諮問という形が多いです)、これを扱う部会を作り、その下の専門部会を幾つか設けて具体的な検討をし、方針が決定されると部会にあげてさらに全体を調整し、これを審議会の総会で承認してというパターンが踏まれます。
もちろん、法律の規模により、例えば小規模な一部改正ならこうしたプロセスが全く無いこともありますし、審議会にかからないものや、かかっても部会レベルで検討するものもあり、色々です。
大学の先生をしていると、このような会議体によばれて参加することがあり、次第にそれが増えていきます。
その場合の報酬は、一回数千円から数万円程度ですが、中にはもっと高額の報酬を得られるポストもあり、これまた千差万別です。最近はお役所のお金の使い道に厳しいチェックが入るようになり、少なくともそれを意識した予算を立てますから、あまり野放図な支出はしません。
知り合いの、九州方面の大学の先生の場合、飛行機代は認められず、新幹線で来るように言われたそうです。ただし、早割りなどで購入した飛行機代よりも新幹線代の方が高くつくということでしたが、それでも新幹線だと言われたということで、この辺がお役所流節約術の限界でしょう。
議事の内容は、委員長とか座長になると、事務局の振り付け文書が大体用意されています。冒頭の言葉や締めの言葉などが書かれていたり、事務局からの説明に振る部分も読み上げれば良いようなシナリオになっていたりします。そして実質的な審議が期待されていないような会議では、議事の中身自体も振りつけられていることがあるようですが、流石に多くの場合は議事の内容や議論の進行、結論などはブランクです。
それから、個々の委員レベルでも、重要な委員には事前にご説明が事務局からあり、露骨に、こういう方向での発言をしてくれと依頼されることがあります。これを無視していると、おそらく、やがてはそこから呼ばれなくなるのだろうなと思いつつ、ヤラセ的な仕込みにはどうもついていけません。
もちろんすべてがヤラセと決まったものではなく、議論が事務局の想定通りに進まず、原案とは別の案ができてしまうこともあります。 そして、そもそも原案が最初からできているわけではないもの、事務局原案は会議のそれまでの発言によって創り上げられた成果であって、事務局の予想通りではないものになっているものなどもあり、そのような場合は会議に参加し意見をいうことが結論に反映されるというやり甲斐を感じることができます。
ともあれ、民間の様々な利害に直接関わる案件の場合は、振付があるなしに拘らず、議論が盛り上がってしまって収拾をつけるのが困難になるケースもありますから、いわゆる審議会的な会議といっても、そう捨てたものではありません。
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| 同僚は選べない(1) |
大学の同僚は、すべて大学のセンセイですから、世間から見れば「教授」とよばれる方たちです。 世間では教授というとステータスが高いように思われていて、少なくとも頭は一般人より良いと考えられているでしょう。 しかし、大学教授といっても様々です。頭も普通の人よりも良いとは限りません。
自分のことは棚にあげて言います。
これまで同僚になった某I教授は、会議のテーマが全く理解出来ない方でした。教授会やら委員会やら、大学では大小様々な会議が開かれますが、とりわけ教授会では形式的なことの中に実質的に議論して決めなければならない重要案件が紛れ込んでいます。そういうのに的確に議論をする必要があります。 ところが、I教授は、議論が始まるとなにか言わなければならないと感じるらしく、常に発言するのですが、その内容はたいていあさっての方向。前の議題についてであったり、先週の議題についてであったり。時々意識が混濁しているんじゃないのかと思うときもありますが、本人は至って真面目です。
そうかと思うと、全く関係ないわけではなく、むしろ関連があることで先週の議題を持ちだしてくることもありますが、それはそれで決まったことの蒸し返し議論です。
この人が話しだすと、議論の焦点がぼやけるどころか、誘発されて蒸し返し議論に乗る別の同僚が出てきたりして、時間がかかって仕方がありません。 かと言って、「お前は黙っとれ」と跳ねつける事ができるほどエラい先生も少なくなり、とにかくご発言の趣旨を汲み取りつつ関係ない本題に戻るという苦労を執行部としてはせざるを得ません。
同僚は選べないというのを痛感するのは、この人だけではありません。
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| 2クラスの授業は難しい |
1月の授業も二週目です。今日は同一科目を2クラスに分けて担当していますので、同じことをしゃべらないとならないという制約があり、なかなか疲れます。 準備は一度で済むとはいえ、2クラスのそれぞれの学生の顔を見ると、理解度が異なり、どうしても一方のクラスでさっと過ぎた所が他方のクラスで時間をとって説明する必要に迫られ、結果、それぞれのクラスで力点を入れた所がずれてきます。 試験は両クラス共通、成績も共通ですから、不公平が生じないように、一方のクラスで詳しく説明したところはもう一つのクラスでもちゃんと説明し、しかし後ろのクラスで理解が不足していそうだと感じたところはさらに説明しますから、どうしても後ろのクラスの説明がくどくなり、説明をいっぱいしている割に理解度が進まないような気がします。
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| 仕事の日々、特に入試業務 |
私達、大学教員は、教育と研究が本分といって養成され、採用されました。 そんな時代には、大学の校務というのは「雑用」と呼ばれたものですが、今やそんな言葉が死後になるほど「雑用」が本業に取って代わられようとしています。
もともと雑用という言葉に対して、その雑用を一生懸命やっていた教員たちは苦々しく「雑用などというものはない」と言っていたのですが、今や殆どの教員が「雑用を一生懸命やる」側につかされているので、「雑用などというものはない」というのがみんなの共通認識になったのかもしれません。
それはともかく、この時期の代表的な「雑用」は、入試業務です。 入試といえば、大学入試センター試験が間近に迫っており、その監督や試験場本部の担当になる教員たちは、その説明会があります。 世間ではテレビを通じて大学入試センター試験の様子を見ることと思いますが、あの映しだされている大きな教室で試験問題や解答用紙を配っているのは、何を隠そう大学教員です。 そして大学入試センター試験は日本全国で統一した試験として何処で受けても有利不利が生じてはいけませんから、時間はもちろんのこと、喋る内容も一語一句統一されています。中にはアドリブで余計なことを言う教員もいますが、大体は飼い慣らされて(と言ったら失礼ですが)、用意されたシナリオを読み上げる以上のことはしません。それ以下ももちろんダメで、必要な注意を適時に行うことが求められているわけです。
大学入試センター試験は大体1月中頃ですが、それ以前から推薦入試は私大でも国立でも行われています。また大学入試センター試験の後は、個別学力試験が私立を中心に行われ、国立は2月25日と3月12日に原則として集中して行われます。私立の場合はさらに、本試験と地方入試が別れてあったりしますから、多種多様な入試が行われます。 そのすべてについて、入試問題を作る人、入試監督をする人、採点をする人、それらの全部または一部を管理する人たちが必要で、これを大学教員が分担します。採点なども、○×式なら機械がやりますが、小論文とかになれば手間がかかります。これを短期間にやるわけですから、人海戦術、駆り出される教員の数が多くなります。
そんなわけで、新年1月に1週か2週だけ授業があり、その後に定期試験があると、もう学生さんは長い長い春休みになるのですが、学生たちも世間の人々も、その期間中に大学の先生はなにもしないで給料をもらっていると誤解しています。実は一番忙しく神経を使うのが、この時期で、すなわち入試業務なのです。
この時期、入試の他にもまた重要な仕事が集中して降ってくることがあるですが、それはまた別の機会に。
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